まーじブログ

言語学の基礎的,専門的な話や政治思想の話などを徒然なるままに.Twitter: @linguisticmerge

やかんが沸いたの「やかん」って?

お久しぶりです.

 

いやぁ,これまた忙しくて,ブログの更新を怠っておりました.見ていただいている方々には申し訳ない思いでいっぱいです.

 

今回は,私の専門と(いい意味でも悪い意味でも)対立している,「認知言語学」という学問における一つの理論: メトニミーについての話です.

 

最近めっきり寒くなってきましたね.肌寒い朝に起きて飲む温かいお茶がすごく美味しいです.

この温かいお茶なんですが,もちろん作る時にはお湯を沸かしますよね,やかんの中に入れて.タイトルにある通り,お湯が沸いたら私たちは「やかんが沸いた」と言いますよね.

でもこれ,冷静に考えるとおかしくないですか?

「沸いた」のはあくまで「お湯」であって,「やかん」ではないはず.なのに我々は「やかんが沸いた」という表現に対して何の違和感も覚えません.これはなぜでしょうか.その謎を説明してくれるのがメトニミーです.

 

メトニミーとは,わかりやすく言えば「身体世界において捉えにくいものを,それと(カテゴリー的に)隣接したより捉えやすい事象ないし物質で代替すること」です.わかりにくいですね,すみません.

 

「やかんが沸いた」を例にとりましょう.

我々はお湯を作る時,まずやかんの中に水を入れ,それを加熱することで沸騰させます.この時,「やかん」という全体と,「(その中に入っている)お湯」という部分という関係が完成します.

やかんの中に入っているお湯は当然不可視であるため,目に見えないそのお湯が沸いたことを,あえて全体である「やかん」について言及することで,部分であるその「お湯」が沸いたということを表現する.これがメトニミーです.

 

全体で部分を表現するメトニミーは上記の例でスッキリしていただけたと思いますが,反対に部分で全体を表現するメトニミーもあります.

 

例えば,「赤ずきんちゃん」.

赤ずきんちゃんは,1人の女の子です.五体満足で,ちゃんとした言葉も話せます.その子が没個性的でない部分をひとつ挙げるとすれば,「頭につけた赤い頭巾」です.そのトレードマークについて言及することでその子を表すことができるのは,言うまでもなく赤い頭巾(部分)とその子(全体)という関係が成り立っているためです.これが,部分で全体を表すメトニミーです.

 

認知言語学では,人間言語のほとんどがメトニミーだと言います.

「新聞を読んだ」は正しくは「新聞の活字を読んだ」であるし,もっと言えば「新聞に黒字で印刷されている仮名カタカナ漢字アルファベットの作為的文字列によって表現される意味を読み解くことで内容を理解した」みたいに,もっとめんどくさい言い方になります.

これを避けてわかりやすくかつ短く伝達できるのは,メトニミーあってこそです.

換言すれば,メトニミーこそが人間言語の基盤となっているのだ.

というのが,認知言語学の考え方です.

 

皆さんも日常会話の中でメトニミーの例を見つけて見てください.